私のブログが一周年を迎えました

昨年6月17日「それぞれの介護事情」で、私のブログ “翁のひとりごと” がスタートしました。

早いもので本日(6月23日)で一周年となり、95編となります。365日分の95編ですから25%の出稿率です。前半は張り切って、2日毎の掲載でしたが、現在は日曜日毎となりました。掲載テーマの選定や、原稿の執筆は、81歳の翁の老化防止には最適と判断し、取り組んでいますが、相当なエネルギーを要します。

次女が入力(私が、自分の誤写や脱字を再チエック)し、ホームページの開設者である長女がレイアウトや写真等を考えながら、アップしてくれます。

昨年12月3日、最愛の妻に先立たれ、相当落ち込んでおりますので、娘達が色々と気配りしてくれます。感謝、感謝です。しかし、妻に先立たれた夫は弱いものだと、つくづく感じます。「もう “この世” には心残りない、妻に会いたい」とつぶやき、娘達を困惑させております。

これから、どこまで投稿出来るか分かりませんが、亡き妻が “あの世” から応援してくれていると信じ、続けたいと思います。

読者の方々、これからもよろしくお願いします。

【翁のひとりごと】|ふと思うこの世の疑問

「プロ」についての考察と展望

「プロ」と呼ばれる方は、スポーツ界、芸能界に限らず、各界に多数おられ、社会をリードしております。しかし、社会全体からみると、やはり限られたエリートの方々です。天性の資質に加え、人との出合いにも恵まれ、その道に人一倍精進、努力した方々が到達した領域と思います。

それでは、我々はプロになれないのでしょうか。私はなれるのではと思います。そのためには、プロと呼ばれる領域を、既成概念にとらわれず拡大してみる事です。昨年8月22日のブログ “人の心をつかみ人生を豊かにするには” で精神性を高める基本五箇条

「今日一日、親切にしよう」
「今日一日、明るく朗らかにしよう」
「今日一日、謙虚にしよう」
「今日一日、素直になろう」
「今日一日、感謝しよう」

をご紹介しましたが、この五箇条のうち、自分の得意分野に絞り、例えば

「親切では、誰にも負けない人間になろう」とか
「感謝では、誰にも負けない人間になろう」

等と目標を定め、世界一を目指し、徹底的に挑戦するのです。「100mを10秒切って走る」を目標とする短距離陸上選手の目標と同じです。

私は、「感謝では、誰にも負けない人間になろう」を目指します。

優秀な指導者(コーチ)や場所も必要ありません。お金も全くかかりません。

自分の心の鍛錬が決め手となります。

翁のひとりごと|ふと思うこの世の疑問

わらじ医者、よろず診療所長、早川一光先生を偲ぶ

早川一光(はやかわかずてる)先生は、2018年6月2日に亡くなられました。1924年(大正13年)のお生まれですから、94歳のご長寿でした。

先生を初めて知ったのは、30年程前に、妻と北海道バスツアーに参加した際のビデオからでした。話術が巧みで、乗客全員が聞き惚れました。講演会等へは行けませんでしたが、多数の出版本があり、読ませていただいた中で、特に印象深い文章を列記します。私自身、心酔している文言です。以下、略記します。

“笑う門には福来る” 一人暮らしの人は、おかしくなくても、お腹を抱えてゲラゲラ笑ってみて下さい。最初はおかしくなくても、だんだん自然な笑いになって来ます。笑うと免疫機構を担う、ナチュラルキラー(NK)細胞が活性化し、感染症やガンに対する抵抗力も強まります。更に付け加えれば、猫や犬等の動物は笑いません。笑いは人間にだけ与えられた、高度な精神活動であり、感情表現なのです。

②人間の価値は、老いる事によって下がりません。「老」を「衰」と考えがちですが、本来、「老」は「熟」なのです。年をとったからこそできる仕事を一所懸命すべきです。つまり、自分の価値はいくつになっても自分で作り出して行く事が大切なのです。そして、看取りとは、お年寄りが病を抱えながらも精いっぱい生きて、人生の最後に「生きてきて良かった」と思いながら、息を引き取る事のできる死に方を手助けする事です。

③老いや死は、肉体的、精神的な衰えであり、誰もが同じように老い、死んで行くと思われがちですが、それは全くの見当違いです。実は、生まれてからのその人の生き方そのものが、その人の老いや死を作って行くのです。ですから、育ち方や生活の仕方が一人一人違うように、老い方も、死に方も、その人の生き方、養生の仕方で違ってくるのです。「死」が怖いのは「この世から、おさらばしたくない」という恐れではなく、自分が歩んできた人生のすべてが、死という場面で、そのまま凝縮されて現れる怖さなのです。死とは、それ程大切なものです。

~早川先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます~
翁のひとりごと|ふと思うこの世の疑問

下戸(げこ)遺伝子の話

2017年新書大賞受賞作家の本(2019年1月20日発行)に下戸(げこ)遺伝子の話があり、興味深く読ませてもらいました。骨子をご紹介します。

私は81歳ですが、昼食に清酒300mlは飲みます。食事が美味しくなるからです。体質的に、アルコールを受け付けないタイプは、下戸と呼ばれております。肝臓のアセトアルデヒドを酢酸に分解する能力が乏しいか、全く無い人で、このためアルコールはその人にとっては毒物となる訳です。

下戸は、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカにはほとんどいないとの事です。中国南部に多く、度数の低い紹興酒が好まれ、北部では度数の強い白酒(パクチュウ)を一気飲みします。下戸率は、中国南部23.1%に対し、北部は15.1%と、かなり開きがあります。

日本の下戸率は23.9%と大変高く、しかも顕著な地域差があります。近畿、中部に多く、東北、南九州、四国の太平洋側では少ないのです。これは、日本に渡来した弥生人のなかに、中国南部を起源とする、下戸遺伝子をもつものが多く、それが地域別に縄文人と混血した度合いが異なり、縄文人の遺伝子の影響が強く残る地域では、酒がより好まれるようになったと考えられそうです。

以上の話から、私は、縄文人の血を色濃く残しているものと自己判断しました。

尚、アセトアルデヒドを分解する、アセドアルデヒド脱水酵素(ALDH2)の欠損率を調べてみますと、日本人44%、中国人41%、韓国人28%なのに対し、インド人5%、ドイツ人0%、スエーデン人0%、との事で、この遺伝的性質は日本人などのモンゴロイド特有のもので、アフリカやヨーロッパの人種では見られないとの事です。
翁のひとりごと|ふと思うこの世の疑問

燭光のサンバ ~エドワルド・ファルー~

アルゼンチンの民族音楽、フォルクローレの弾き語り名手「エドワルド・ファルー」の名曲「燭光のサンバ」を紙上鑑賞下さい。日本語の訳者不明ですが、名訳です。

燭光のサンバ

“ 日暮れが一日(ひとひ)の終わりを告げ
太陽の死を嘆き 月がしろがねの泪とともにのぼるとき このサンバは生まれた
川が揺りかごの歌を囁きながら流れ 冬の風が哀しみをもたらせば
サンバはすすり泣く
夜が熟し 哀しみの凝固するとき
夜のサンバは燭光となって 楽しく行路を照らす

わが瞳はねむりを忘れ 夜を過ごす
夜が熟し私の哀しみが凝固するとき

わが瞳はねむりを忘れ 夜を過ごす
夜が熟し私の哀しみが凝固するとき

ギタラよお休み 歌のクエロは行ってしまった
地上に咲く花もつみ取れば
愛しい想い出は再び還り来ず
燭光のサンバは暁の訪れと共に去り行く
みそらを星がうずめ 高く輝くとき
夜のサンバは燭光となって 楽しく行路を照らす ”

若いころ、これを原語(スペイン語)で唄ったものですが、今は翁となり正確には唄えなくなりました。
【翁のひとりごと】|ふと思うこの世の疑問

自伝「第九話番外編」

~抒情歌 “ふるさと” の3番歌

~~志を果たしていつの日か帰らん山はあおきふるさと水は清きふるさと~~

が好きで時々唄います。

私の作詞 “望郷譜” を口ずさんで下さい。高等学校卒業時の寄せ書きは、「長生きが最後の勝利」と書き、同級生を驚かせた人です。私が灰になるのはまだ大分先の事になるかもしれませんが、その時は一族で盛大に網走の海に散骨して下さい、網走の美味しい魚やカニを食べながら。充分な予算は残しておきます(?)

以上で自伝の最終話が完結しております。

自伝の “望郷譜” は昨年8月28日のブログ「望郷の思い」で披露させて頂きました。

サンフランシスコ講和条約が発効して4年目、日本がやっと独立国になったばかりの昭和31年3月30日、網走駅を出立する際、革靴一足とスーツ一着を揃えてもらうのがやっとでした。当時、カメラは貴重品で、記念撮影ができなかった事が、今でも心残りです。

丁度、この時期から日本は大復興のドラマを演じ始めたのです。私もささやかながら、その一員に加わったのだと、はるかな旅路を振り返ります。

【平成31年3月16日 娘二人と網走駅で記念撮影ができました】
翁のひとりごと|ふと思うこの世の疑問

自伝第八話「ここまで来て振り返る」

第一話「旅立ち」の中で、私は祖母や母を通じ、女性を大事にする心が育ったのではと触れましたが、 “男は女性を見下げるのではなく、見上げるものだ” と学び、女性を味方にしていたのではないか、これが私の人生にとって、良薬になったのではないかと思います。

第七話までは、仕事一筋で、家庭菜園が趣味ぐらいにしか伝わらないと思いますが、実は多芸で、現役時代、「職業を間違えたのでは?」と言われました。

広島独身時代、アルゼンチンのタンゴと並ぶ「フォクローレ」にはまり、今でも「アタウアルパ・ユパンキ(アルゼンチンのフォルクローレのギタリスト)」のギター弾き語り、 “トゥクマンの月” は原語(スペイン語)で歌うことができます。但し、カラオケリストにはありませんので “アカペラ” となります。

歌だけでなく、浪曲、語り、朗読等、多岐に渡ります。曲亭馬琴の “南総里見八犬伝” や、近松門左衛門の “曽根崎心中” 等を語り始めると、長時間になり、聞かされる人は只、唖然とするばかり。歌もカラオケの無い時代から、飲むと唄っておりました。

リタイヤして2年目の平成13年7月21日、観光ツアーで、妻と九州旅行の際、平戸で大規模な歌謡祭があり、ツアーから2名の参加枠があるとの事で参戦、優勝しました。歌は、北島三郎の「息子」でした。

今まで大きな峠や細道を乗り越える事ができたのは、この多芸もストレス解消の一助になったのではと思います。

リタイヤ後は、昼のカラオケステージで唄っています。一曲一曲を大事に唄い込み、自分の歌になるよう、心がけております。懐メロから演歌、ポップス系等、幅広く、現在の持ち歌は200曲近くになります。

第八話までお読み頂き、ありがとうございました。平成28年1月29日、房子との結婚50周年、金婚式を迎えます。~

以上で第八話終了です。

昨年9月24日「妻への感謝状~自伝のつづき」として、第八話の一部を抜粋してご紹介しましたが、残る部分をここに掲載させて頂きました。
翁のひとりごと|ふと思うこの世の疑問

日本国の素晴らしさ

5月1日、元号が『平成』から『令和』となりました。

本来、自伝第八話「ここまで来て振り返る」を掲載予定でしたが、『令和』のスタートに当たり、「日本国の素晴らしさ」について考えてみます。

日本は今や借金国、世界最速の高齢化国、人口減少国等と声高に言われております。事実、その通りなので、素直に受け止めざるを得ません。しかし、日本国は世界的なレベルでは誇るべき国だと思います。思いつくままにその理由を列記してみます。

①昭和20年代のように飢えている人はいません。

②病人が道に放り出されることはなく、救急車がすぐ駆け付けてくれます。

③水は安心して飲め、それで風呂に入り、洗浄式トイレは全国にゆき渡っております。

④電気・ガス・電話等が故障で使えない日はありません。

⑤交通機関が時間を守ることは世界一で郵便も確実に全国に届きます。 

⑥災害が起きても被災者は冷静で、即日、食べ物も配られます。コンビニが襲撃される事もありません。

⑦女性が深夜でも緊急時、一人で外出する事ができます。

⑧誰もが国民健康保険制度で守られています。

⑨義務教育は百パーセント近く、自国の生産品は世界的なレベルを保持しています。

⑩二代目の政治家は多いものの、総理大臣の親戚が要職を占める事はありません。総理は皆、庶民的な暮らしをしています。

⑪警官や裁判官が裏社会とつながっている事もありません。

⑫役人の力量が最近低下しているようですが、賄賂や天下りを平然とやっているわけでもありません。

⑬忘れ物、落とし物の届出率は、世界最高ともいわれております。外国からの観光客の評価は絶大との事です。

以上、13項目を列記してみました。詳部に不満もあるでしょうが、こんな国は世界でも稀れである事を誇るべきです。これを保持しているのは、吾々、国民一人一人が、それぞれの役割を担っているからなのです。

自信を持って令和の新時代に船出しましょう。どんな課題もきっと乗り越えられます。

翁のひとりごと|ふと思うこの世の疑問

自伝第七話「マンション管理組合役員となる」

~リタイアしてから、15年も経過し、老後施設にでも入ろうかという歳になった、平成26年1月、今居住しているマンション管理組合の理事内定者となりました。そして、同年5月の総会で、正式に副理事長に就任しました。

これで私は労働組合役員会社役員管理組合役員と、全く違う役割の異なる三役を経験する事となりました。平常の管理組合であれば、お互いに素人同志、ボランティアでもあり、ゆっくりと取り組めば何とかなるのではと思われますが、今回はそうでなありませんでした。

貴重な組合の修繕積立金〇〇〇円を投入する大規模修繕工事が迫っていたのです。

管理組合全体が強く結束し、工事に当たる体制の構築が急務となりました。このため、私の経験も生かした種々のマニュアル作りや、修繕専門委員制の導入や、組合史上初めての広報紙発刊等に老骨に鞭打って、全精力を傾けました。大変良い結果が得られ、広報誌発刊の功績に対し、感謝状を頂きました。77歳になって縁あって、このマンションに居住する事となった方々のお役に立てたと、誇りに思います。

ちなみに、当マンションは14階103戸、現在の居住者は240名余りですが、私達は、平成元年の新築時、抽選で入居しました、最古参です。~

以上で、第七話終了していますが、第六話「〇〇商事から□□アクセスへ」は2月10日と15日に掲載しております。昨年9月18日の「マンション管理組合広報紙創刊物語」とも連動しております。その後、広報紙は継承され、私が第27号まで受け持ちましたが、平成31年3月10日現在、第60号が発行されております。

翁のひとりごと|ふと思うこの世の疑問

自伝第五話「高松時代」

~この時期は、房子、雅子、貴子にとって一番思い出深い時代ではないでしょうか。

房子は転勤族組なのに、地元のボスの方々から推されて、高松市立太田中学校PTA副会長として大活躍、雅子、貴子は中学校、高等学校でのたくさんの思い出があると思います。私は、課長職(途中で市乳課長に転じました)として社内(特に高松工場)や得意先との課題が山積し、その多様な対応に腐心しました。

しかし、あの時代は交際費にも余裕があり、色々と飲む機会が多かったように思います。帰りが午前様になり、房子を泣かせた事もありました。ゴルフも公私ともに盛んで、随分出けましたが、私には向かなかったようで、上達しませんでした。

一方、家庭菜園は成功し、西瓜収穫期は、自宅の階段の脇に上段からズラリと並べた事を思い出します。また、房子の卒業式の祝辞や、雅子の壷井栄賞挑戦時の添削、バックアップ等、楽しい思い出が蘇ります。雅子は房子と共に小豆島での壷井栄賞授賞式に臨みましたね。
翁のひとりごと|ふと思うこの世の疑問

昭和63年3月10日付で〇〇商事(〇〇乳業系列の食品卸問屋)に取締役として出向が発令されました。前年4月に私は、社内の格付が所属長(支店長、工場長等)就任資格者になっていたので、出向の場合は、取締役となったのです。50歳になった時で、若い出向役員として期待されました。

当時、役職定年といわれる55歳~57歳で関連会社へ出向するケースがほとんどでした。従って、出向先の本音として、あまり歓迎されていませんでした。~

以上で、第五話終了していますが、この第五話は、昨年9月27日と30日のブログ「長女の壷井栄賞入選作品発見」10月9日の「野菜作りの思い出」とも連動しております。

長女(雅子)は平成29年10月21日、関西玉翠会総会(ザ・リッツカールトン大阪での高松高等学校卒業生総会:302名出席)のメイン司会を務めた事を思い出しました。
翁のひとりごと|ふと思うこの世の疑問