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天明の飢饉で餓死者多数

翁のひとりごと | 氣愛塾 翁のひとりごと

たかだか230年程前(2300年前ではありません)の天明(1782年~1787年)の2年間で、100万人が飢饉により、餓死したといわれます。現代の感覚では、全く理解できません。

今は、餓死者が2人出てもニュースになります。特に奥羽地方は最悪で、人肉も食したと伝わります。

1783年の浅間山の噴火は、死者2,000人、噴煙により気候が寒冷化した事が主因と言われております。

丁度、この時期は、田沼時代と言われ、賄賂政治が時の老中、田沼意次によって主導されたかに言われておりますが、近年は、貿易振興、北海道開発、新田開発等、幕政の積極的な改革を推進した功労者だったと、評価が変わって来ております。

天災による民心の離脱が主因で失脚しました。その後、徳川の血を引く、白河藩主、松平定信が倹約令を柱とする「寛政の改革」を断行、しかし、庶民からは不評でした。当時の狂歌に「白河の清きに魚(うお)も住みかねて、もとの濁りの田沼こいしき」という名句があります。

気候変動により、食料が欠乏した場合、現代は当時と違い、輸入は可能でしょうが、深刻になれば、それぞれの自国民防衛が最優先となります。

自給率の拡大は最重要テーマです。

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