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自伝第五話「高松時代」

翁のひとりごと | 氣愛塾 翁のひとりごと

~この時期は、房子、雅子、貴子にとって一番思い出深い時代ではないでしょうか。

房子は転勤族組なのに、地元のボスの方々から推されて、高松市立太田中学校PTA副会長として大活躍、雅子、貴子は中学校、高等学校でのたくさんの思い出があると思います。私は、課長職(途中で市乳課長に転じました)として社内(特に高松工場)や得意先との課題が山積し、その多様な対応に腐心しました。

しかし、あの時代は交際費にも余裕があり、色々と飲む機会が多かったように思います。帰りが午前様になり、房子を泣かせた事もありました。ゴルフも公私ともに盛んで、随分出けましたが、私には向かなかったようで、上達しませんでした。

一方、家庭菜園は成功し、西瓜収穫期は、自宅の階段の脇に上段からズラリと並べた事を思い出します。また、房子の卒業式の祝辞や、雅子の壷井栄賞挑戦時の添削、バックアップ等、楽しい思い出が蘇ります。雅子は房子と共に小豆島での壷井栄賞授賞式に臨みましたね。

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昭和63年3月10日付で〇〇商事(〇〇乳業系列の食品卸問屋)に取締役として出向が発令されました。前年4月に私は、社内の格付が所属長(支店長、工場長等)就任資格者になっていたので、出向の場合は、取締役となったのです。50歳になった時で、若い出向役員として期待されました。

当時、役職定年といわれる55歳~57歳で関連会社へ出向するケースがほとんどでした。従って、出向先の本音として、あまり歓迎されていませんでした。~

以上で、第五話終了していますが、この第五話は、昨年9月27日と30日のブログ「長女の壷井栄賞入選作品発見」10月9日の「野菜作りの思い出」とも連動しております。

長女(雅子)は平成29年10月21日、関西玉翠会総会(ザ・リッツカールトン大阪での高松高等学校卒業生総会:302名出席)のメイン司会を務めた事を思い出しました。

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