ハピネスキャリアプロジェクトとは?

文章がとても軽くなった

翁のひとりごと | 氣愛塾 翁のひとりごと

私の記憶では、戦前までの文章は文語体(平安時代の古文の体系)でした。戦後は口語体(話し言葉を基準とした文体)となり、現国民のほとんどは文語体には馴染みがありません。

現在はスマートフォン時代となり、日常の交信文は簡素化が進み、私は “つぶやき体” と命名しました。最小限の伝達や意思疎通には便利ですが、味が薄くなりました。文語体の標本文として、私が暗唱している高山樗牛(たかやまちょぎゅう → 島崎藤村と並ぶ明治の文豪)の名作『瀧口入道』の一節をご紹介します。平清盛の盛宴で武骨者の六波羅武士、斎藤瀧口時頼が横笛という名の舞の名手にひとめぼれし、悩むくだりです。少し長いですが、どうぞ。

物の哀れもこれよりぞ知る。恋ほど世に怪(いぶか)しきものはあらじ。稽古の窓に向かって三諦止観(さんたいしかん)の月を楽しめる身も一朝おりかえす花染の香に幾年(いくとせ)の行業を捨てし人。さては相見(あいみ)てのただちの短かきに、恋い悲しみ永(なが)の月日を恨みて三衣一鉢(さんえいっぱつ)にあだなる情(なさけ)を感ぜし人。おもえばいづれか恋の奴(やっこ)に非らざるべき。恋や秋萩の葉末に置ける露のごと、あだなれども、中に写せる月影は円(まど)かなる望(もち)とも見られぬべく。今の憂身(うきみ)をつらしとかこてども、恋せぬ前のこし方は何を楽しみに暮らしけんと思へば涙はこの身の命なりけり。

夕べあしたの鐘の声もよそならぬ哀れに響く今日は、過ぎし春秋の今更心なきに驚かされ、鳥の声、虫の音にも心、何となう動きて、我にもあらで情(なさけ)の外に行末もなし。恋せる今を迷いとみれば、悟れる者の慕ふべくも思われず。悟れる今を恋とみれば昔の迷こそ、中々に楽しけれ。

恋ほど世にいぶかしきものはあらじ。ただおぼろげながら夢とうつつの境を歩む身に、ましてやいずれを恋の始終と思い分たんや。そも恋てふもの、いづこより来りていづこをさして去る。人の心の隈(くま)は映すべき鏡なければ、いずれ思案の外なんめり。いかなれば斎藤瀧口、今更、武骨者の銘打つたる鉄巻(くろがねまき)をよそにし、負ふにやさしき横笛の名に笑める。いかなれば時頼、常にもあらで夜を冒して中宮の御所には忍べる。ああ、いつしか恋の淵に落ちけるなり。

少し、濃すぎるかも知れませんが、是非、朗読してみて下さい。

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