正月なので、酒の話でスタートします。幕末、最後の土佐藩主、山内容堂を主人公とした司馬遼太郎作の「酔って候」の末巻に、本人の名詩文を “蛇足だが付け加えたくなった” として載せております。容堂公は、公武合体や大政奉還に関わった人物で、酒を好み、鯨海酔候と自称したと伝わります。
昨は橋南に飲み、今日は橋北に酔ふ酒あり、飲むべし、吾酔ふべし、
層楼傑閣、橋側にあり、
家郷万里、南洋に面す、
眥(なまじり)を決すれば、空闊(くうかつ)
碧茫々(そらぼうぼう)
唯見る、怒涛(どとう)の厳腹に触るるを壮観却(かえ)ってこの風光なし
顧(かえり)みて酒を呼べば、酒すでに至る、
快なるかな、痛飲放恣(ほうし)を極む
誰か言ふ、君子は徳行を極むと、
世上解せず、酔人の意(こころ)
還(かえ)らんと欲すれば、欄前燈(らんぜんともしび)なほ明らかに、
橋北橋南、ことごとく弦声(げんせい)
私は、この詩文は今でも空んじております。四国全域が仕事場であった時代(40代)高知(土佐)の高名な料亭での宴席で、この詩文を朗々と披露し、大喝采を受け、その後の仕事がうまく行きました。
妻は、高松市立太田中学校PTA副会長として大活躍した時期と重なります。更に、「命の電話相談員」であった事を思い出しました。スーパーウーマンだったのです。