~第一話「旅立ち」の中で、私は祖母や母を通じ、女性を大事にする心が育ったのではと触れましたが、 “男は女性を見下げるのではなく、見上げるものだ” と学び、女性を味方にしていたのではないか、これが私の人生にとって、良薬になったのではないかと思います。
第七話までは、仕事一筋で、家庭菜園が趣味ぐらいにしか伝わらないと思いますが、実は多芸で、現役時代、「職業を間違えたのでは?」と言われました。
広島独身時代、アルゼンチンのタンゴと並ぶ「フォクローレ」にはまり、今でも「アタウアルパ・ユパンキ(アルゼンチンのフォルクローレのギタリスト)」のギター弾き語り、 “トゥクマンの月” は原語(スペイン語)で歌うことができます。但し、カラオケリストにはありませんので “アカペラ” となります。
歌だけでなく、浪曲、語り、朗読等、多岐に渡ります。曲亭馬琴の “南総里見八犬伝” や、近松門左衛門の “曽根崎心中” 等を語り始めると、長時間になり、聞かされる人は只、唖然とするばかり。歌もカラオケの無い時代から、飲むと唄っておりました。
リタイヤして2年目の平成13年7月21日、観光ツアーで、妻と九州旅行の際、平戸で大規模な歌謡祭があり、ツアーから2名の参加枠があるとの事で参戦、優勝しました。歌は、北島三郎の「息子」でした。
今まで大きな峠や細道を乗り越える事ができたのは、この多芸もストレス解消の一助になったのではと思います。
リタイヤ後は、昼のカラオケステージで唄っています。一曲一曲を大事に唄い込み、自分の歌になるよう、心がけております。懐メロから演歌、ポップス系等、幅広く、現在の持ち歌は200曲近くになります。
第八話までお読み頂き、ありがとうございました。平成28年1月29日、房子との結婚50周年、金婚式を迎えます。~
以上で第八話終了です。
昨年9月24日「妻への感謝状~自伝のつづき」として、第八話の一部を抜粋してご紹介しましたが、残る部分をここに掲載させて頂きました。