以下、5月17日の後編となります。
「時代がくだるにつれて疫病が海外から入ることや、病をはやらす疫神がいると想定するようになり、政治と疫病が無縁になっていった。その頃から伝染病は、人から人へと感染する。隔離が効果あるという考えが生まれてくる。そして、近代になって、伝染病の予防法を教えた西洋医学が漢方を制覇した。さらに、現代では、長い間恐れてきた伝染病に対する見方が変わった。あれほど恐れていた、天然痘が撲滅された。しかし、自然は簡単に引き下がらない。天然痘に続いてポリオの克服を目指しているが、簡単ではない。また、新しい病気も現れている。
一方、古代では、個々の人の病は怨念が物の怪になって人を襲うのだと信じ、祈祷を行った。近代以前は、無力な医療より、祈祷が信頼されていた。しかし、近代医学は、病気の原因を科学的に明らかにして、宗教から医学を分離した。しかし、我々は、今も病気からの回復を神に祈り、健康を祈り、神社仏閣に初詣をする。からだは広大無辺な自然のなかに生きていること、自然の威力に逆らう恐ろしさを覚えているからだ。現代の医療は、治療法も格段に進歩し、公衆衛生がすすみ、病を予防することができるようになった。それでどれだけ多くの人々が助かったか、歴史を見るとその重みがよくわかる。
ところで、いまでこそ医学は自然科学に属するが、病み治療する歴史は、科学史より、文化史である。医療は、からだの文化史である。病み苦しみには天下人も勝てない。そこには、ひたすら病から救われたいと願い、もだえ、虚飾を捨て去った人間の姿が見える。栄華をきわめた、藤原道長も、平清盛も徳川家康も、最後は病苦に痛めつけられて、生涯を終えている。長寿を礼賛していた杉田玄白も、老いていく、からだの衰えには勝てず、その嘆きを随筆に書きとどめている。病気は、人というからだの中でおこっている異常の表れである。祈祷は、こころを癒したが、からだの異常をとらえることができなかった。自然科学の医学は、それをからだから取り出して、詳しく調べて結果を出すが、こころをからだに置き去りにしてきた。歴史を振り返ると、医療の発展のすばらしさに感嘆するが、ほころびも見えてくる。薬害、公害、医原病がなぜおこるのか、全人的医療が求められ、必要だと思い、その方向に向かっているのだが、行く先はまだ遠い。」
以上、「病が語る日本史」の「あとがき」ご紹介しました。
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